Past Exhibition
Shizuka Yokomizo
横溝 静
That Day
あの日
2020.7.11(sat) - 8.29(sat)
夏季休廊 8.9 - 8.18
ウイルス対策のため事前アポイント制で営業中
Reservation only
ご鑑賞予約は30分単位です
That Day / あの日, 2020, video still (detail), 12 min. 19 sec.
Waves, 2020, Black and White print on RC paper, 21.5 × 17.8 cm(image), 38.3 × 30.5 cm(frame), unique
Today / Yesterday (installation view), 2020, Digital C-type print, diptych, 40 photographs, 22 x 20 cm(print), 42 x 34 cm(frame) , edition of 5
That Day / あの日, 2020, video still (detail), 12 min. 19 sec.
[重要なお知らせ]
3月から開催した本展は東京都からの自粛要請を受けひとたび中止いたしましたが、日程を変更して7月11日から再度開催する運びとなりました。お客様同士のウイルス感染を防ぐため、当面の間は事前オンライン予約による完全入れ替え制でご鑑賞いただけるようしております。
PRESS RELEASE [English]
ワコウ・ワークス・オブ・アートではこの度、新型ウイルスの影響を受けて会期途中で中断しておりました展覧会、イギリス在住の日本人作家・横溝 静(よこみぞ しずか)による7度目の個展『That Day あの日』を、期間を改めた2020年7月11日(土)から8月29日(土)まで開催いたします。日本では5年ぶりとなる本展では照明効果と連動する映像作品を中心に、時間と記憶の行き先を問いかける新作を展示いたします。開催にあたっては感染拡大防止の為、当面の間はオンライン予約による入れ替え制にてご来場者様をご案内いたします。ご予約はこの弊公式HPより行っていただけます。尚、本展はひとたび本年3月17日(火)に開催いたしましたが東京都からの自粛要請を受けて中止しておりました。衛生対策については末尾を御覧ください。
横溝は1966年に東京に生まれ、1995年にロンドン大学ゴールドスミス校の美術修士課程を卒業しました。以後ロンドンを拠点に活動し、写真や映像の特性を用いることで自己と他者の関係性に注目した作品の発表を続けています。主に人物を被写体としてきた横溝の作品は、自己に還元できない他者の在り方や他者の構造を問いかけ、不可視の要素が内在するものを探りながら認識や実存という普遍的な課題に言及します。近年はその中でもイメージの起源や生成される契機に注目し、作品に文化人類学的な視点を織り込みながら言及先を人物像以外にも発展させています。
本展覧会は、緩やかに明滅する照明と連動した東北の海を舞台とする映像作品《That Day / あの日)》、毎日展示が替わる明け方の空の写真《Today / Yesterday》、 波の白黒写真《Waves》の、2020年に完成した3つの新作にて構成されます。
映像作品《That Day / あの日》では幼少期に父親が海辺で撮影した夏休みの家族写真と、同じ海辺で近年撮影した作家自身と母親の近影とが印画紙に現像される様が映し出されます。現像液の静かな水音や海の音に記憶を辿るセリフがオーバーラップするこの作品は、現像の度合いが進行するにつれ展示室の照明が強まって投射されるイメージは光にかきけされていきます。映像に出てくるセリフは作家自身の言葉でありながらも、日本語を知らない外国人がローマ字表記を頼りに読み上げるために不特定な音声として登場します。同時に展示される2点組みの写真作品《Today / Yesterday》は現在作家が暮らすロンドンの窓から見上げた明け方の空を2019年の3月から約2ヶ月に渡り撮影した、日替わりで展示替えをする40点の連作です。さらに映像内に登場する昔の家族写真のフィルムから波の部分だけを任意に引き伸ばした写真作品《Waves》と併せて、ひとつの記憶を契機にうまれた複数の時間軸をもつ作品群が展示される展覧会です。展示空間をの中で時間と記憶の姿が多層的に浮かび上がります。
今回の新作は言及先を関係性においてきたこれまでの作風とは異なり、自らの私的な領域を主な舞台としています。作品を通じて、抽象化された私的な物語と、私たちの個人的な時間とが結びいて共有されていくなかで、記憶の根底に根付くイメージとは何かという問いかけ浮かびあがり始めます。個人の経験と個人を超えた経験。それぞれを構成する記憶の構造を頼りに時間や記憶という見えないものが私達をどう形作っていくのかを見つめる本展を、是非この機会にご高覧ください
[期間中の衛生対策とお客様へのお願い]
本展覧会は暗室での映像上映で、ヘッドホンを使用致します。新型ウイルス対策につきまして衛生対策を次のように徹底いたします。
当面の間はアポイント制でのみ営業・展示室内の換気・入口の消毒液設置・完全入れ替え制での展示・設置作品と入口ドアの定期的な消毒・スタッフのマスク着用と定期的な検温・受付に飛沫防止パーテーションを設置
またお客様におかれましては、スタッフで消毒を徹底しますが映像を投影する密室での上映になりますため、マスク着用の上でご体調が万全の時にご来場いただきますようお願い申し上げます。2週間以内に海外渡航歴のある方、渡航歴のある方と接触された方、発熱や咳などの症状がある方は、ご体調の回復をご優先ください。また少しでも体調にご不安のある方や高齢者ご本人、ご同居の家族様など感染機会が懸念されるかたには上映環境を事前にメールやお電話でご案内しております。どうぞお気兼ねなくお問い合わせ下さい。
アーティスト・ステイトメント 横溝 静
2019年の6月、ロンドンから久しぶりに帰国して、私は母と東北へ行った。やっと復興住宅へ落ち着いた母の親戚に会いに行ったのだ。
宮城県の石巻は母の田舎で、子供の頃、私たちは長い夏休みのほとんどを、長面浦の海沿いの借地に建てたプレハブの小屋で過ごした。天気が良ければ毎日、午前中に宿題やらを終わらせ、お昼からは自転車に乗って皆で海に泳ぎに行った。学齢が上がるとだんだんと足が遠のくようになったが、私にとっての夏の記憶は、東北の海と強く結びついている。
もう海の近くではない場所に住む母の従兄弟の一人と母の会話を、私は黙って横で聞いていた。時に出てくる思い出話の中にはそこかしこに海の景色があった。彼らの少年少女時代の記憶は、その海の景色とともに、その当時は存在の可能性すらなかった私によって、 今という現在に想像され、受け止められた。
もう一人の母の従兄弟は、母と私に津波が来たときのことを話してくれた。滅多に会うことのない私たち二人に、その時の経験を恐らく淡々と話してくれたのだが、それは個人のリアリティを超えたあまりにも大きな出来事で、 まだ生々しく、記憶として語るには言葉を超えているということが、その声から伝わってきた。私と母は、その声を追い、聞きながら波と水を想像した。
この母との東北への旅は、記憶の確認、記憶の受け渡し、共通の記憶の生成、といったことについて考えるきっかけとなり、 それは記憶の成り立ちに深く影響する写真というものの生成過程を取り入れたビデオ作品となった。
この作品のもう一つの動機は、自分にとって深い思い入れのある場所が津波で流されてしまったことについて、何らかの形にしたいと長い間考えていたことだ。しかし渡英して、日本に住む親しい人たちと記憶を共有してこなかった自分にその資格があるとは思えない。その私の地理的な記憶の分断は、意味を知らずに日本語を音読みしている外国人女性の声が反映している。
ちなみに、私が長年住む英国には、様々な理由で、中には紛争や飢饉など、それこそ個人のリアリティを超えた出来事を逃れて国を離れ、異国でその記憶を抱えながら暮らしている移民の人々が多く住む。その子供達は親にとっての異国を自分の国として育ち、文化に馴染み、親とは全く異なる記憶を自分の記憶とする。ナレーションをしてくれた女性も、紛争を逃れてイランから英国に移住した移民の母親を持ち、そういった地理的、世代的な記憶の分断と乖離を経験している。
私のテキストを読んでくれたタラ・ホワイト、35mmのネガを保存していてくれた父、横溝健志、母、横溝紗緻子に感謝する。
[Shizuka Yokomizo 横溝 静]
1966年東京生まれ、ロンドン在住。中央大学で哲学を専攻した後にロンドン大学大学院でファインアートを専攻。写真を用いながら自己の存在と世界/他者の関係性をめぐる作品を制作している。これまで、友人が眠りについた姿を写した《Sleeping》(1995-97)、見知らぬ他者と言葉を交わさぬ邂逅で撮影した《Stranger》(1998-2000)、イメージの虚構と実在を見つめた《All》(2008-10)などの作品を発表。近年参加した主な展覧会に、2010年六本木クロッシング(森美術館)、2015年アーティスト・ファイル 2015(国立新美術館)、2016年Japanese Photography from Postwar to Now (SF MOMA)、2018年第10回恵比寿映像祭((東京都写真美術館)、 2019年MAMコレクション011(森美術館)等がある。
Artist's statement Yokomizo Shizuka
In June 2019, I returned to Japan from London for the first time in a long time, and traveled with my mother to the Tohoku region. We visited some of my mother’s relatives just as the post-disaster efforts to build new housing were finally starting to settle down.
My mother is from Ishinomaki, Miyagi Prefecture, and when we were kids we would spend most of our summer vacation there in a small prefab cabin on a leased lot near the coast of Nagatsuraura. If the weather was good, after we had finished our homework or whatever else we had to do in the morning, we would all ride our bicycles to the ocean and go swimming every afternoon. As we got to be of school age, our visits grew less frequent, but my memories of summer are still closely linked to the Tohoku sea.
In a house away from the ocean, where one of my mother’s cousins now lives, I sat quietly listening to my mother and him as they talked. Whenever they spoke of the past, scenes of the sea were scattered throughout, and this generated images of a time when I was not physically present. Yet these were tangible spaces that allowed me a strangely displaced access.
Another one of my mother’s cousins told us about the tsunami. He seemed to be speaking openly about his experiences to us, two people that he rarely met, but his voice conveyed the fact that it was a huge event that exceeded his personal reality, and that it was so vivid that he still did not have the words to talk about it as a memory. As my mother and I followed his voice, we imagined the waves and the water.
The trip I took to Tohoku with my mother made me start thinking about confirming and transferring memories, and the creation of shared memories. This in turn led to a video work directly incorporating a photographic production process, in which I wanted to work through the tendency of images to influence the formation of memory.
Another motivation for the work was my long-standing desire to make something related to a place, which I had a deep attachment to that had been washed away in the tsunami. But since I had moved to the UK and rarely shared memories with the people I was close to in Japan, it did not seem as if I was entitled to do this. My geographical memory fragments are expressed here by a woman, who is not Japanese, reading my Japanese text phonetically without understanding what it means.
I might also mention that in the UK, where I have lived for many years, there is a large number of immigrants. They live outside of their own countries, some having escaped events that exceeded their personal realities for a variety of reasons, such as conflicts and famines, and dealing with these memories in a foreign land. The children of these people grow up in a country that is foreign to their parents, become familiar with the culture, and create their own memories, which are completely different from their parents’. The woman who voiced my text has an Iranian mother who moved to the UK to escape strife in her country. This geographical and generational fragmentation, and separation of memory is something that she has also experienced.
I would like to express my gratitude to Tara White for reading my text, and to my father, Yokomizo Takeshi, for preserving the 35mm negatives, and my mother, Yokomizo Sachiko.